身体を愛する
昔から体育がとても苦手で嫌いだった。
まず、走るのがとても遅い。
高い所等も怖い。
鉄棒でコウモリ降りなど以ての外。
跳び箱も平均台も怖かった。
落ちたらどうしよう…
私だけ出来なかったらどうしよう…
何もかも最悪パターンを想像して行うものだから、引き寄せる引き寄せる。
このような嫌な過去の出来事を思い出すと、引き寄せの法則は生まれた時からあったのだと実感した。
運動するというのはいつも誰かと競い、勝ち負けがあるものでいつも自分は敗者だと言うレッテルをずっと自分にはってきた。
だから強制的にさせられる運動が、めちゃくちゃ嫌いだと昔から思っていた。
体育の成績によって、学校での地位がなんとなく決まる雰囲気もとても馬鹿馬鹿しいと思ったし、体育が大人になって役立つなんて事は水泳くらいではないかと思っているし、どんなに努力しても運動神経の良い人と悪い人では元々差があり過ぎると思う。
そんな私が大人になり、映画フラガールを観て速攻フラダンスを習いに行った。
とても楽しかった。
息苦しさや怖さ強制的にさせられる事でなく、自分がしたくて始めた身体を動かす事はこんなに楽しいのかと思った。
その後、タヒチアンダンスやヨガをしたが仕事の都合やスタジオの雰囲気が合わず辞めてしまった。
でも、ダンスやヨガなど自分だけで楽しめる運動をするのは好きで楽しいと言う事を知った。
身体が重くダルく感じる時は、ヨガ等の運動を軽くすれば大抵治る。
身体が元気に動く事に感謝しながら、深く息をしゆっくり身体を伸ばす事で次の日とても身体全体が軽い。
何かの本で身体は借り物。大切にしなさい。
と書いてあった。
年老いても元気に美味しくご飯が食べたいから、見たくないけど自分の体重と向き合い、運動をして身体を労わる。
自発的に行う運動こそ、身体に結果が出やすいと思う。
結構好きな事
私にとってお菓子作りは、次の仕事の為にするものだった。
今、ありがたい事に少しお店で販売させて貰っている。
緊急事態の期間のみだが、新しい一歩が踏み出せた気がした。
嬉しくて色々焼き菓子を持って行ってみたが、そのお店に来るお客さんのニーズに合ったモノを考える良い勉強になった。
お店に持っていくお菓子を作る日以外は、お菓子を作る必要はない。
だが、近々会う誰かを思い出しては毎日のようにお菓子を作っている。
あの人はプリンが好きだから。
あの人は今有料配信にハマっていると言っていたから、ちょこちょこつまめる日持ちするお菓子に。
あの人は乳製品が苦手だから。
あの人はお酒が好きだから。
相手を思い浮かべて考えるお菓子が好きだ。
手軽でシンプルで何年も作り続けたいお菓子のレシピをいくつかストックし、アレンジして誰かの為に作るのは私の中で結構好きな事だ。
以前の仕事の時は、季節、予算、見栄え、手順を考えメニュー考案しなければいけなかった。
お客様のニーズに合った新しいメニューを日々考え続けた。
仕事を辞めても、私にできる事はこれしかないと必死に大勢の人の喜ぶもの、破棄する事も考え出来るだけ日持ちがするもの、1人で毎日作り続けられるもの、作る場所が小さくて済むもの…商売の事を考えてばかりでお菓子を作っていた。
苦しかったなーと今思う。
私にはハイヤーセルフがいるから、お任せして今は楽しく過ごそうと決めてから気持ちが本当に楽になった。
そして、ほぼ毎日何かを作っている。
一昨日はゴールデンキウイを使ったゼリー
昨日はバナナマフィン
今日はカッサータ
完璧じゃなくていいお菓子は、とんでもない失敗もするけど面白い。
心地よいということ
今朝、いつものように神社に行った。
お参り前に、手水のところで待つ事10分。
人が多いわけでは無い。家族で水を汲んでいる人がいたからだ。
雨の中、蚊に刺されてイライラした。
神社に来てイライラしてしまった事に後悔した。
その後、電車で30分かけて好きな喫茶店に行った。自分の作ったお菓子を、緊急事態の間販売させて貰っている。
とてもありがたい。
初めてテイクアウトでコーヒーを買う方が、コーヒーを待つ間にお菓子を見つけ買ってくれた時は凄く感激した。
素直に幸せだなぁと思った。
自分の作った物が人の楽しみになっていると思うと、大袈裟だが生きている感じがする。
よく、スピリチュアルの本に
『私達は楽しむ為に、人の役に立つ為に地球にやって来た』
と書いてあるが、その使命を果たす一歩を踏み出せてるような気にさえなった。
仕事と考えると、この収入で生活はできないとなれば何の為にしているんだ…となってしまうがそう言う事を抜きにして、自分の好きな物を作って買ってみよう!と思って貰える事に幸福感を感じた。
帰りに八百屋さんで買った小さなプチトマトが甘くて美味しかった。
帰り道に咲く紫陽花の写真を撮っている人を見て私も撮ってみた。
この時期しか咲かない季節の花をじっくり見る余裕が今の私の心にあってよかったと思った。
人は1日の中で色々な感情が生まれる。
ちょっとでも嬉しいとか温かい気持ちになれた事は、何度も思い出してみようと思った。
コロナとワクチンについて
フリーターの私にとって今回のコロナは打撃だった。
しかし、お店をしたいと意気込んでいた私にとって起業する資金が足らなかった事とコロナ騒動で、私の企画していた小さなお菓子屋さんは一気に諦めがついた。
不安を抱え、借金して始めていなくて本当に良かった。
コロナ禍での生活によって、これからの私達の生活が全て元通りと言う事は無いのではないかと思っている。
リモートで出来る仕事は、会社に行かなくてもいいし、出張も減らしてもなんとかなるなら前のように必要になるのだろうか?
飲食店は本当に大変だと思うが、個人店が1人でテナントを借りて綱渡りの営業をするのは競合店も多いし本当に大変だ。食べ物を提供する形もどんどん変わるのではないかと思う。提供する側も購入する側もどちらもが新しく良い形のスタイルが出来てくるのではないか?
今後について否定的な悲壮感漂う会話ばかりするより、皆で今までより良い形を作れる知恵を出し合える仲間ができたら良いなぁと私は思っている。
自分も楽しく人の役に立つ仕事が何かは全く見えてないけれど。
コロナについての考えが周りの人でもだいぶ違う。飲食店に行っても対策が甘過ぎる!と敏感に反応し怒っている人もいれば、インフルエンザより死亡者少ないしニュースで煽り過ぎだと怒っている人もいる。
相手の立場によって意見が異なるのはしょうがないが、発言に気をつけなければならない事に息苦しさを感じる。
マスク警察のようにワクチン警察が出てきたら本当にうんざりする。
ワクチンについては本人の意思を尊重して欲しい。本当に。
本人の選択に任せると言いつつ、ワクチンを打たないと会社、学校、全ての行動がしづらい状況を作られている事に違和感を感じる。
今、日本でも接種後亡くなった200人近くの方がワクチンのせいだと国に認められないと言われている。
もし、急いで作ったワクチンで数年後何があっても人によって症状の出かたは違うと思う。数多くの人がそれぞれ違う症状が出ればワクチンのせいとは認められないと言われて終わってしまうと思うし、国が責任を取ると言ってたのは何だったのだ?となるに違いないと思っている。
テレビでお医者さんでも、「この先ずっとこのワクチンを打っても大丈夫とは私は言い切れない」
とはっきり言っている中、アナンサーや芸能人が知識なくワクチンを打つように勧めている発言に怖さを感じる。
自分達の発言で多くの人にワクチンを打つように促している事、放送されれば永久に残る。テレビがどこでも同じように最後ワクチン接種を薦めている事に違和感を皆は感じないのだろうか?
自分で世界中の情報を得て、きちんと判断して受けるかどうか全ての人に選択権を与えて欲しいと思う。私はテレビだけでなく自分が集めた情報の中で判断したいと思う。
自分の判断で打つ人も打たない人も尊重したいし、打たない事で生きづらさを感じる社会になっていく事だけは避けて欲しい…。
変身願望
今、少しダイエット期間中だ。
昔から色々なダイエットにチャレンジしてきた。
りんご、テープ、サランラップ、ヨガ…
色々やって気づいた事は一生続けられそうも無いダイエットには手を出さない。
りんごダイエットなど3日も持たなかったが、2日目の夜になるまで、これ一生続けるの無理なのに何故始めてしまったのか…?
と気づく事ができなかった。
周りを見て気づいたのだが、ぽっちゃりした人は物凄く食べたり、朝や夕ご飯を抜いたりかなり波がある気がする。スリムな人ほど3食変わらず食べている人が多いように思う。
若い時はダイエットするのは健康の為と言うより、素敵な服が着たい。痩せれば選択肢が一気に増えると言う理由もあった。
また、顔もスタイルも変われるなら!と意気込む。
今の状況が良くないのは、自分が醜く劣っているせいだ!という気持ちからだったのだと思う。
30代後半になって自分より年上の人が無理に痩せて素敵になった人は凄く少ない。
頬が痩け、身体が痩せても厚みがなくなんだか貧相で老けて見えてしまう。
ただ、体型を気にしなくなりすぎるといつも楽な格好で自分の身なりに全く構わず、これも一気に老ける。
40代なのだから20、30代より若く見えるのは難しいし無理しているのも何か違う気がする。
年相応で品のある健康的な女性でいたい
と思った。
数日前に見たくない今の自分の姿を受け入れ、少し運動、少し食事調整で長期チャレンジダイエットを開始した。
理由は歳と共に変わるが、変身したい気持ちがあるというのは自分の中にまた向上心が芽生えてきたのだと思う。
健康的で美しい立ち振る舞いのできる女性に変身し、楽しく働く自分を今日は妄想して寝よう。
妄想でワクワクしたこと
久々に幼馴染に会った。
スターバックスでお茶をした。
コーヒーを飲めない私はいつもティーラテ(ほうじ茶で)を頼むが、友達にラテならをアーモンドミルクにするよう勧められた。
ほのかに甘く、ほのかに香ばしくて、とても美味しかった。
新発見!
些細な事かもしれないが、ワクワクした。
自分が好きだからか紅茶のアレンジは無限だと思う。
紅茶に合わせたくて、シロップもいくつか作った事がある。
実家の近くはかなり田舎で、最近山を崩して沢山新しい家が建ち始めた。
家ばかり…。お店は全然無い。
この辺で近所の人向けに、月に数回チャイ屋さんをしたら、喜ばれるのではないかなぁと想像したら楽しくなった。
お茶を飲むのは毎日。
気持ちを込めて飲むとじんわり心が和む。
簡単に自分で作れる物だけど、人が作ってくれたものでリラックスタイムにする。
小さな贅沢、お茶する時間。
人のささやかなご褒美タイムを作れるような仕事が出来たら最高だなぁと思った。
妄想してたらテンションが上がって、夜中にクッキーを焼きつつブログに綴ってしまった。
見えない世界の話。
1つの感情を出す事で近い未来に同じ感情が起こると言う話。
だから、リラックスする、ワクワクする、前向きな感情を起こすとその人はその感情が好きなんだなーっ
と神様が知り、近い未来同じ感情になるような出来事を持ってきてくれる。
嫌な感情になれば…それも、同じ感情になるような出来事が…。
そうなりたくなくて意識して無理にテンション上げようとして、無理してた事に気づいてちょっと落ち込んでたここ数日。
今日
美味しいモノに出会う→満たされる→人を喜ばせたくなる→想像する→どんどん夢膨らむ
1個良い事があると、どんどん
自然にワクワクした。
無理してない。幸せだと思った。
自分を信じる
よくスピリチュアルの記事に、私達は皆完璧。
『地の時代』は出来ない事を体験しに来たけど、本当はなんでもできる。
不安になって自分には出来ないかも…と思うからその通り引き寄せてしまう。
と書いてある。
そうかぁ〜
とまず、受け入れる。
だけど何か行動する必要がある時、今まで自分が出来なかった事、失敗してしまった事が先に頭に浮かんでしまう。
一度失敗してしまったら、同じ事を繰り返さないように前の出来事を思い出してしまうし、苦い思い出は心に刻まれやすい。
逆に、今まで成功した事ってなんだろう?
思い浮かばない。
成功と言う言葉が間違いなのだろうか?
答えが○か✖️のどちらかになってしまうから。
また、人と比べる社会で生きてきたから、出来る人と比べて自分の劣っているところは記憶してしまう。
これは考え方の癖なのか…。
そうなるとますます自分に自信を無くし、好きで無くなってしまう。
自分以外の人は皆凄い気がしてくる。
あの人は凄くセンスのあるデザインが考えられる。
あの人は稼ぎが良い。
あの人は手先が器用。
あの人は賢い。
あの人はスタイルが良い。
あの人は素晴らしい職業に就いている。
あの人はいつも人の話を聞くのが上手い。
あの人はいつも笑顔が素敵。
あの人はいつも褒め上手。
あの人はいつも綺麗に掃除してくれる。
あの人はいつもさりげなくサポートしてくれる。
色々な人を思い浮かべながら、その人の凄いところを考えていたら色々出てきた。
途中からちょっと雰囲気が変わってきた。
いつも○○してくれてありがたいなぁと思っている事が他人の素晴らしいとこだったりする。
これなら、私にも努力次第で出来るのではないかと思ってきた。
私もできるな。
自分が出来ると信じるって事は生き方とか仕事とかそんな大きな事でなくていいのかもしれない。
人にして貰ってありがたかった事を思い出してみようと思う。
そして、自分も人にありがとうと言われた事を少しでも思い出せたら、出来る自分を探し出せて信じるに繋がるのかもな…。
と急にちょっと前向きになれたって話。